寂しいアメリカ映画

投稿日:2013年02月28日

元来映画好きではあります。

学生の頃は週に2回位見ていましたが、最近は本当に時々になってしまいました。何も文学的な物とか、名作が好きなのではなく、スピーディーでハッピーエンドが好きなのであります。薄学浅才というか、何とも「麻原な奴」的映画好きなのであります。(無断引用致しました。申し訳ありません。)そんな浅はかな気持ちで映画評論を綴ってみたいと思います。

最近(とは言ってもこの文書は2000年12月のものであります。)幾つかの映画を見る機会がありました。年代は正確ではありませんが、思いつくままに挙げますと、マイライフ(マイケル・キートン主演)、ケープフィアー(ロバート・デニーロ)、パトリオットゲーム、今そこにある危機(いずれもハリソン・フォード)、理由(シェーン・コネリー)、ウォーターワールド(ケビン・コスナー)、ペリカン文書(ジュリア・ロバーツ)等々。

いずれも淋しいアメリカ映画の代表であります。

マイライフはマイケル・キートンが余命幾許もない癌患者としての主演です。

映画の中の癌の告知はいたって簡単で「貴方は癌です。あと半年しか持ちません。」といったようなものであります。アメリカの先進性を評価したものか、日本の後進性を賛美したものか迷ってしまいます。西洋医学に見捨てられた彼は、怪しい中国人(?)の所で所謂”気”による治療を受け、次第に自らの死を受け入れ、幸せな死(?)を迎えます。高所恐怖症だった彼は、ジェットコースターの下り車線で両手を離し、ばんざいすることが出来ませんでした。皆が嬌声をあげてばんざいするのを随分羨ましく思っていたのです。死の床についた彼は、その今際の際にジェットコースターでばんざいをする夢を見ながら息を引き取るのです。死そのものはハッピーではありませんが、ハッピーな最後と思います。でもハッピーな最後を形作ったのは西洋的な文化や医学ではなく、東洋の文化、思想だった訳です。

彼らの中の得体の知れない不安を感じさせる映画だと思いました。

ケープフィアーと理由(わけ)は、主演がロバート・デニーロにシェーン・コネリーと当代の名優であるので、期待して見に行ったのですが、内容は極めて醜悪、後悔頻りでした。

ケープフィアーは悪魔的なデニーロに温厚な夫婦が付け狙われる物語で、最後に反撃に転じた夫婦がデニーロをやっつけるのですが、その時思わず両手でグーを作ってしまいました。理由は、人種差別で犯人に仕立て挙げられた黒人青年を弁護士のコネリーが助けるという、頭から湯気が出るくらいオーソドックスな設定で始まります。被害者は実は殺人鬼、悪役警官は実は実直なヒューマニスト、切れ者の弁護士は何とはめられ役とドンデン返しが多く、疲れる内容でした。しかし迫力は抜群です。

いずれも犯罪が悪魔的で常識を外れており、訳もなく殺人が行なわれたりという、子供の時、夢の中で何かに追い掛けられるような形容しがたい恐怖を感じさせます。

パトリオットゲームはロンドンを訪れた主人公(ハリソン・フォード)がIRA超過激派(アイルランド開放戦線の1分派?)の英王室に対するテロに遭遇した事に始まります。

主人公の獅子奮迅の働きで、テロを撃退するのですが、その時テロ仲間の一人を射殺してしまいます。その兄が彼ら家族を付け狙うという設定です。主人公は情報アナリストで、人工衛星を使ってテロ集団を追跡するというハイテク場面を見せてくれます。しかし、海の向こうの戦闘を衛星中継で見るのは、本当にゲーム的感覚で人を無神経にさせるようです。湾岸戦争の時、リアルタイムで伝えられる映像に同様なものを感じた覚えがありますが、皆さんは如何でしたでしょうか。この種の映画が数多く作られているということが、病んだアメリカを思わせます。実際アメリカの犯罪発生率は驚異的な数字であるといいます。邦人が犠牲になった例もあり、危険な国アメリカがそこにあります。

今そこにある危機やペリカン文書は、大統領、CIA、FBIが複雑に入り乱れて一個人の考え方や、生命を奪おうというものであります。

最終的には主人公であるハリソン・フォードやジュリア・ロバーツの超人的な逆襲により国家権力の重圧を撥ね退けてしまうという内容です。しかし、国家が国益になると判断した場合には、非合法ではあってもCIAやFBIの活動を容認するというお国柄ですし、この事はケネディー時代のキューバ進攻からも事実無根ではないことが判ります。最近では、細川さんや橋本さんの盗聴事件というチャチな非合法活動もあったようです。このような国で国益に関わる事件に巻き込まれたり、権力者の非合法活動に関わった時、我が国の対応を想像すると楽観できる選択枝は多くないように思われます。アメリカ国民にとって、このような恐怖の想像が荒唐無稽ではないということに荒涼としたアメリカ社会を感じます。映画のテンポは素晴らしく、次から次へと迫力のある場面の大安売り、息継ぐ余裕もない位です。最近ジョン・ウェイン主演のリオブラボーをビデオで見ましたが、うんざりするくらいの平坦なストーリーなのです。悪漢どもとの打ち合い場面だけが上品な見せ場なのですが、見せ場が終わって後、ジ・エンドになるまで数分間も平和なほのぼのとした場面が続いたのには驚かされました。古き良き時代のアメリカの映画ですね。

マッドマックスシリーズ(メル・ギブソン)は核戦争後、燃料が枯渇し、それを暴力的に奪い合うという設定です。

話を面白くする為に種々の破壊的な集団が出てきますが、いずれもバイキングが暴走族(おっと、暴走族はもっと上品でお利口さんかな)になった感じを想像して頂ければ宜しいかと思います。人も風景も荒涼たる世界で、こういう未来は映画の中であっても受け入れたくはありません。

最近上映されたウォーターワールド(ケビン・コスナー)は陸地が海に埋没して、人間は水上生活を余儀なくされるという設定です。

人類は見たこともない陸というユートピアを求めてさまよい、生きる為に水、植物を争い、奪い合う毎日です。主人公のケビン・コスナーは所謂半魚人(進化したのか、突然変異なのかは不明。)で、水中を猛烈なスピードで泳ぐことが出来、我々に海中深く沈んだ文明の遺物を見せてくれます。彼の活躍で数名の人間が陸地に辿り着くのですが、その間に何千という悪人どもが海の藻屑となる様はソドムの崩壊を見るようです。選ばれた者だけが、カナンの地へ辿り着けるという旧約聖書の流れをなぞっているようにも感じられました。ただ旧約聖書に描かれた神は厳しい断罪者であります。自然を凌駕できるものと信じ、邁進に邁進を重ねてきた彼らは、やっと疲れを感じ始めたようです。

18世紀から20世紀は彼らの世界でした。科学技術も芸術も彼らのものでした。美しさも醜さも彼らの感覚で決まりました。日露戦争の折り、203高地の山腹は日露両軍の死体で覆い尽くされたといいます。観戦に来ていたイギリスの将軍がその悲惨な状況を書き記しているが、ロシア兵の死に顔の美しさに感動したと書かれていたそうですが、日本兵については全く触れられてなかったとのことです。ひがみでしょうか。

特にアメリカに代表されますが、彼らの最近の自信の無さはどうでしょうか。日本、中国をはじめとするイエローモンキー達や、国内外のブラックパワーにオロオロしているようにも見えます。そのような不安が映画に出ているのではと思っていますが如何でしょうか。

えっ、日本映画ですか?。日本映画については黙して語りません。